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東京高等裁判所 昭和25年(う)1709号 判決

控訴人 被告人 苅込熊次郎 苅込勝

弁護人 牛島定

検察官 野本良平関与

主文

原判決を破棄する。

被告人苅込熊次郎を懲役四年に同苅込勝を懲役三年に夫々処する。

但し、被告人苅込勝に対しては、此の裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収に係る杉丸太一本(昭和二十五年押第四百二十一号の一)はこれを没収する。

原審において生じた訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は末尾添附の弁護人牛島定作成名義の控訴趣意書及び追加控訴趣意書と題する各書面記載のとおりであつてこれに対して当裁判所は次のとおり判断する。

弁護人控訴趣意第一点について

然し乍ら刑事訴訟法第三百十九条に所謂「任意に供述されたものでない疑のある自白」であるか否かは訴訟進行の総ての状況即ち該書類の形式内容は勿論被告人の弁解及び態度、検察官の釈明、該書類作成に関与した証人の証言等あらゆる面から原審裁判所において最も合理的な判断を下すべきであつて単に原審公判廷において被告人が強制による旨弁解供述したからと云つてこれによらねばならないと謂うものではない。而して本件記録を精査し、所論の総ての事情を参酌するも所論摘録の検察官作成の各供述調書が任意に供述されたものであることは優にこれを認めることができ原審裁判所がこれを証拠能力ありとして証拠調を為し以つて証拠としたのは洵に相当であつて論旨は畢竟原審と反対の見解に立ち原審の専権に属する証拠の取捨を論難するものであつて論旨はその理由がない。

前同第二点について

本件記録を精査するに原審裁判所は昭和二十四年七月五日附決定を以つて検察官請求の被告人苅込熊次郎に対する昭和二十四年一月十六日附司法警察員作成の第一回供述調書、同一月十七日附第二回供述調書、同一月十八日第三回供述調書並に被告人苅込勝に対する同年一月十八日附司法警察員作成の第二回供述調書をいづれも刑事訴訟法第三百二十二条第一項但し書により任意にされたものでない疑があると認めて却下して居り乍ら原審第五回公判廷において検察官が同じ前記各供述調書を刑事訴訟法第三百二十八条によつて取調の請求を為しこれに対し弁護人より異議を主張したのに裁判長はこの証拠を採用して証拠調を為したこと洵に所論のとおりである。

よつて原審裁判所の前記証拠調は適法なりや否につき考究するに苟くも原審裁判所が当該各供述調書を刑事訴訟法三百二十二条第一項但し書により延いては同法第三百十九条第一項により任意にされたものでない疑があるものとして却下した以上は同法第三百二十八条により被告人又は証人の供述の証明力を争うためにもこれを証拠とすることができないものと解すべきこと洵に所論のとおりであつて原審裁判所の前記証拠調は違法たるを免れない。然し乍ら数多の証拠調手続中の或るものに違法手続があつたとしても該違法手続に基く証拠を以つて犯罪事実の認定資料として居れば格別若し然らざる場合には該違法は直ちに判決に影響を及ぼすものと云うことができない。原判決挙示の各証拠を詳細に検討するも前記違法の証拠を採用した形跡は毫も存しないのみならず該違法は毫も判決に影響を及ぼすものと認め難いから論旨はその理由がない。

前同第三点について

本件記録を精査するに原審第二回公判廷において検察官は未だ証人として喚問されない苅込みつの司法警察員に対する供述調書を刑事訴訟法第三百二十八条に基き取調を請求し裁判所は弁護人の異議に拘らず右書類を提出させて昭和二十四年七月五日附でこれを採用する旨決定していること洵に所論のとおりである。而してかかる未だ証人として喚問されない苅込みつの司法警察員に対する供述調書を刑事訴訟法第三百二十八条に基き被告人証人その他の者の供述の証明力を争うために証拠とすることができるか否かについて案ずるに刑事訴訟法第三百二十八条は公判準備又は公判期日における被告人その他の者の供述の証明力を争うためには同法第三百二十一条乃至第三百二十四条の規定により証拠とすることができない書面又は供述であつてもこれを証拠とすることができる旨を規定しているのであつて同条の法文解釈よりすれば一般的には刑事訴訟法第三百二十一条乃至第三百二十四条の規定により証拠とすることができない書面又は供述であつても公判準備又は公判期日における被告人、証人その他の者の供述の証明力を争うためには総て無制限に証拠とすることができる趣旨と解すべきであつて所論の如く同条に所謂公判準備又は公判期日における「被告人、証人その他の者」は「法廷外においてその供述をしたその被告人、証人その他の者」の意味に解すべきではない。されば原審裁判所が前記の如く公判廷において未だ証人として喚問されない苅込みつの司法警察員に対する供述調書を刑事訴訟法第三百二十八条に基き証拠調を許容したのは毫も支障なく所論は独自の見解に基いて原審裁判所の措置を論難するものであつて論旨はその理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 中野保雄 判事 川本彦四郎 判事 渡辺好人)

弁護人牛島定の控訴趣意

第一点証拠能力のない証拠によつて犯罪事実を認定した違法

原審判決がその理由中に挙示している証拠中「検察官作成の被告人苅込勝に対する昭和二十四年一月十九日付供述調書」及び「検察官作成の被告人苅込熊次郎に対する昭和二十四年一月十九日付供述調書」は、刑事訴訟法第三百十九条に規定する「任意に供述されたものでない疑のある自白」であつて、証拠とすることのできないものである。

原審第四回公判廷(昭和二十四年六月二十四日)において被告人等の司法警察員及び検察官に対する供述調書が提出された時、弁護人は被告人等の司法警察員に対する供述は違法な勾留中の心理的圧迫の下になされた自白であつて任意性に疑いありとし、又、検察官に対する供述調書についても、後述の如き理由から任意性に疑ありとして異議を申立てた。裁判所に七月五日附の決定を以て司法警察員に対する供述調書については任意性に疑いあることを認めて、これを却下したが、検察官に対する供述調書は刑訴法第三百二十二条第一項によつて採用した。しかしながら、この検察官に対する被告人等の供述調書についても、次の如き理由からその任意性につき大いに疑いが存するのである。

即ち、被告人等を緊急逮捕した牛久警察署は逮捕状の請求を却下されたため、一月十八日深夜被告人等を釈放したのであるが、その翌朝直ちに形式は任意出頭であるが実質は強制処分に等しく警察官三名附添の下に自動車によつて検察庁に連行され、同庁において警察官立会の下に供述させられて作成せられたのが前記の検察官に対する供述調書であつて而も、その供述は自発的になされたのではなく前述の如き違法な手続によつて作成された警察官の面前における供述調書に基いて訊問されたのであつて、明かに心理的強制と違法勾留中の違法な供述調書の影響下になされた供述である。従つて右の供述は任意になされたものとは認め難く、刑訴法第三百十九条に所謂「任意にされたものでない疑のある自白」であつて証拠能力なきものと断ぜざるを得ない。而して、かゝる証拠能力なき証拠を判決中に挙示したのみでも既に判決破棄の理由となることは最高裁判所の判例(註)の示すところであるが、更に本件の場合には、右証拠を採用し得ざる場合他の適法な証拠のみを以つてしては判示犯罪事実を認定し得ないこと明かであるから、原判決は到底破棄を免れないものである。

(註)昭和二十二年(れ)二〇八号、同二十三年二月九日第一小法廷判決

〔証拠〕

被告人等に対する逮捕請求の却下については第四回公判廷(六月二十四日)における検察官の釈明及び本件の捜査に当つた警察官吉田信夫に対する昭和二十四年四月三十日附の証人訊問調書によつて明かである。

検察庁における取調べについては

一、第三回公判廷(五月十一日)における主任弁護人の訊問に対する被告人苅込熊次郎の 問 十九日朝牛久警察署から被告人を迎へに来たのは何時頃であつたか。答 その日朝八時頃警察署から巡査の人が私と勝を迎へに来まして、一寸用事があるから警察迄来て貰い度いと云うことでありましたので警察へ行きますと、千葉の検察庁へ行くから此の自動車にのつて貰いたいと申しましたので自動車に吉田部長外二名の警察の人と一緒に乗つて千葉まで来たのであります。………問 その間(検察官の取調を受けていた間)中警察官は附添つていたのか。答 左樣であります。問 それでは身柄を拘束されていた様に感じたか。答 左様に感じたのでありますとの供述

一、同公判廷における主任弁護人の訊問に対する被告人苅込勝の 問 警察から帰されたのは何時か。答 一月十八日の午後九時頃でありました。其の時は何の理由も云はず帰すからと云はれて帰つて来たのであります。………問 被告人は其の間(検察官の取調を受けていた間)中任意に出頭したという気持であつたか。答 左樣ではありません。捕われて居つた気持で非常に恐ろしかつたのです。問 どの位の時間調べを受けたか。答 一時間半位であつたと記憶して居ります。問 その時被告人は逮捕状を出されたか。答 取調べが終つてから逮捕状を出されたのであります。との供述

一、第五回公判廷における被告人苅込勝の裁判長の訊問に対する 問 一月十九日附被告人の検察官に対する供述調書についてどうか。答 私は調書に記載された樣な供述をした覚えはありません。又、左樣な事実もなかつたのであります。問 被告人が署名する際調書の読聞けを受けたか。答 読み聞けられなかつたと思います。主任弁護人の訊問に対する。問 一月十九日検察官の取調べを受けた際何時間位かゝつたか。答 一時間かゝらなかつたと思います。問 其の取調を受けた際被告人は積極的に供述したのか。答 左樣ではありません。検察官から「そうだろう」、「こうだろう」と云はれたので私は恐ろしかつたのではいはいと返事したのであります。問 最後に調書の読聞けを受けたか。 答 読んでくれなかつたと思います。との供述

一、同公判廷における主任弁護人の訊問に対する被告人熊次郎の 問 一月十九日検察官から取調べを受けた際被告人が供述した事について記憶しているか。答 記憶がありませんが私は自分から積極的に供述したのではありませんので、検察官から「そうだろう」「こうだろう」と云はれたのを聞いていただけであります。との供述

第二点証拠能力のない証拠を採用して証拠調をした違法

原審は、第一点既述の如く七月五日附決定を以て、「被告人等の司法警察員に対する各供述調書」を任意性に疑いありとして却下したのであるが、第五回公判廷において検察官がその同じ証拠を刑事訴訟法第三百二十八条によつて提出した際、弁護人の異議にも拘らず、これを採用して証拠調をなしたのである。

しかしながら刑事訴訟法第三百十九条以下に掲げる証拠能力の制限については絶対的なものと相対的なものとがあり、第三百二十一条乃至第三百二十四条の如きは相対的な制限であり、第三百二十六条によつて同意を得た場合、或は第三百二十八条によつて証人等の供述の証明力を争うためには使用出来るのである。

之に反して、第三百十九条の規定の如きは絶対的な制限であり任意性のない自白は相手方の同意であつても或は供述の証明力を争うためにも、使用することが出来ないものである。(註 栗本一夫「新刑事証拠法」一八頁。横井大三「新刑事訴訟法逐条解説第三輯一二六頁。青柳文雄「刑事訴訟法通論」二八四頁)

しからばかゝる証拠能力なき証拠の取調べを行つた場合、それが判決の破棄理由となるのであろうか。

証拠能力なき証拠の取調べを行つただけで、これを犯罪事実認定の資料としなければ、破棄理由とはならないとの説もある。しかしながら、裁判における、裁判官の心証の形成は一つの心理過程であつて、裁判の過程において生起する殆んどあらゆる現象(その中最も重要なものは証拠である)が直接間接に裁判官の心理内容を形成して行くのであつて、単に判決理由中に証拠として摘示されるかどうかと云う形成的な面からのみを以つてしては心証形成内容を決定することは出来ないのである。さればこそ法第二百五十六条第六項、第二百九十六条但書等の如き規定が存するのであり、かかる規定のおかれた精神からしても、違法な証拠が有罪心証形成過程に関与した以上判決理由中に示されていると否とを問わず原則としてその取調べは、判決に影響を及ぼすべき手続上の法令違反として、破棄理由となるものと解せざるを得ない。たゞこゝに訴訟経済と云う要求があることを認めねばなるまい。これ即ち刑事訴訟規則第二百七条の証拠排除の規定或は米法において被告人側が証拠調に異議を申立てた場合にのみ違法証拠の取調べが判決の破棄理由となるとの規則の存する所以である。しかしながら、これらは飽くまで訴訟経済の要求からの規則であり従つて、訴訟経済の要求と被告人の利益との衡量の上に立つものであり、その点においてそれらの限界が存するのであり、証拠内容が些程に重要でない場合にのみこれらの規則が適用されるのであり証拠内容が裁判官の心証形成に重大な影響を与へた場合には、証拠排除の決定をなしても裁判官の心理的傾斜を元に復すことは不可能であり、かゝる場合には被告人側からの異議の申立がない場合でも、又証拠排除の決定をなしても治癒され得ない重大な手続上の法令違反として、破棄理由となるものと解せざるを得ない。

本件の場合には、該証拠が任意性なき自白であることは原審裁判が既に認めていた所であり、弁護人も異議を申立てゝ居り、且、その証拠内容は、判決中に、証拠として表示されている「被告人等の検察官に対する供述調書」と同内容のものであり、裁判官が右の検察官に対する被告人等の供述調書の証明力を判断し、その他有罪の認定をするについて直接間接に大なる影響を心証形成過程に及ぼしたこと明かであるから、原判決は到底破棄を免れないものと信ずる。(註 違法な証拠の取調べと判決の破棄理由との関係についての主張は、第三点及び第五点第六点についても同樣である。)

第三点刑事訴訟法第三百二十八条における伝聞証言禁止の例外を不当に広く解釈した違法

原審第三回公判廷(昭和二十四年五月十一日)において検察官は未だ証人として喚問されない苅込みつの司法警察員に対する供述調書を刑事訴訟法第三百二十八条に基き取調を請求し裁判所は弁護人の異議にも拘らず、右書類を提出させ七月五日附で右証拠書類を刑事訴訟法第三百二十八条により採用する旨決定している。

しかしながら同条の規定は公判準備又は公判期日における供述の証明力を争うためには如何なる伝聞証拠も許容せられるというような広い意味ではない。法務庁官房渉外課法務庁検務局総務課英訳の英文刑事訴訟法の同条が Any document or oral Statement, which shall not be used as evidence by virtue of Articles 321 to 324, may be used as a method for the purpose of determining the credibity of the Statement made on the date either for the preparation for public trial or for the public trial by the accused, witness or other persons(who have given the Statements outside of the court となつていることからも明かな如く同条にいふ「被告人、証人、その他の者」は「法廷外においてその供述をしたその被告人、証人、その他の者」の意味であり、「公判準備又は公判期日における証人等の供述の証明力を争うために利用することを許されるのはその者の作成した供述書、その者の供述を録取した書面、又はその者の供述を内容とする供述に限り」「それらが証人等の供述の証明力を争うに役立つのは、それらの内容が法廷における証人等の、供述の内容と異つている場合に限る」(註)と解すべきである。即ち甲が公判準備において或る供述をした場合、法廷外において甲がそれと異る供述をなしたのを聞いた乙を証人として呼び出し、或は甲のかゝる法廷外の供述を録取した書面を提出して、甲の証言の証明力を争うことができるという意味なのである。(註 田中和夫「英米証拠法」法律タイムズ四巻四号。同旨田中和夫「伝聞証拠」法曹時報一巻四号。刑事訴訟法、刑事訴訟規則、質疑回答、通牒、通達集二輯)

従つて本件においては苅込みつの供述調書を第三百二十八条によつて提出しても、これによつて証明力を争うべき基本的な供述が存在しないのであるからこれは証拠法上提出し得ない証拠を第三百二十八条の規定を借りて提出し、以て裁判官に不当な心証を与えんとした脱法行為であり、新刑事訴訟法が公正な裁判を保証する手段として採用した証拠則に対する悪質な背反と云はざるを得ない。而して、裁判所が同規定を広く解釈することによつてかゝる証拠能力なき証拠を脱法的に取調べた結果裁判官の心証形成過程に重大な影響を与えたこと明かであるから、原判決は当然破棄せらるべきものである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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